人間の身体には自然治癒力が備わっていて、大抵の怪我なら直ぐに直る。大怪我をしてしまった場合には、治療をしなければ悪化する。
それは、人の心にも言えることだった。
心は目には見えない。しかし、ある。
心にある傷は、痛んでいることを自覚しないと、永遠に直ることは無く、どんどん悪化していくだろう。
そのことを、知った。
1
私は、今まで生きてきた中で、今が一番楽しいと思う。
今まで生きてきたといっても、今年(平成十七年)の一月で十七歳になったばかりだ。人生これからと、いうところだろうか。
私がどうして、今が一番楽しいと感じるか。
それは、今の環境に満足していて、それを自覚していて。
自覚できている自分がいるからである。
現在の自分は、今年の四月から高校三年で、美術部の部長。選挙管理委員長。部長も委員長も立候補だ。やれば出来ると思ったし、やってみたかったから。それだけだ。
友人は、高校二年のときに増えた。一年のころからの友達の、その友達と親しくなって、その輪が広がって・・・・。
女子は男子よりもネチネチしていて友人関係が怖いと感じていたが、それもいつの間にか何処かへ行ってしまった。
今は、学校に行くのが楽しくて仕方ない。
確かに、授業は、眠い日や、テスト、苦手科目、等は、・・・・・・・・・・・・・・・・とかなってしまうけれど、放課を中心に、人と話すのが楽しいと感じている。
そのことを、改めて実感して、自分は大丈夫なんだなぁ、と思う。
私は今まで、友人関係、がとても怖かった。
2
小学校、中学校、と卒業写真や卒業文集というものがある。
私のところも、例外なく、それがあった。
小学校の卒業写真。これには苦い思い出があるが、本題からそれてしまうので、今回は置いておく。
卒業文集に、二回とも同じ内容を書いた。
小学校の時は、きっとそれで、五年生のクラスでの出来事のことを清算したかったのだと思う。
私がいた地域の中学校では、私が在学した小学校の生徒全員、隣の小学校の生徒が半分、といった具合に中学校の生徒が混ざり合っていた。
新しい出会いがあるから、やり直せる。
知らない人間が多い。
そう思ったのだろう。
しかし、結局は清算できていなかった。
そのことに、中学三の夏に気が付いた。
そのことから四年以上もたって、やっと終わっていなかったこと気がつけたのだ。
それは、伯母と伯母が進めてくれた本のおかげだった。
3
小学校五年のクラスで私に起こったこと。
それは、俗に言う『虐め』といわれるものだ。
男子と女子のリーダ的存在の二人に、嫌われてしまい、始まった。
その二人の仲が元々良かったことも、虐めが増長してしまった理由の一つだろう。
過去に、幼稚園の時や小学校二年の時にも、『虐め』と認めれば認められるようなことがあったのだが、その時は、この、五年生の時のことを含めて認めていなかった。
認めることで、負けてしまうような気がしてならなかったのだ。
本当は、認める勇気が無かっただけなのに。
私は、とても弱かった。
4
始まりが何だったのか。
どうして、キラワレテしまったのか。
未だに、判らないままだ。
5
その時の担任の先生(以降A先生)には、とても感謝している。
無視してしまえば、きっと、それで終わったのに。
私なんかがクラスにいなければ、それはそれでいいクラスになっていただろうに。
一生懸命、止めさせようとしてくれていた。
それを知ってか知らずにか。
親には言って欲しくなかった。
知られたくなかった。
そんな酷い事ではないって、親に言わなければならないほどの事ではないって、そう、思っていた。思い込もうとしていた。
頑張っている先生の姿を、冷めた心で眺めていた。
だから・・・。
でも結果としてみれば、A先生がいなければ、今の私は無かっただろう。
私は救われたのだ。
6
このことがあって、成長できた。
と、思う。
これは、自惚れだろうか?
平成十七年 五月 十五日 日曜日
第一話 〜疑惑・前振り〜 完!
第二話 〜発覚・呼び名〜(仮) へ続く。